2年前の日食は仕事を抜け出して外でこっそりと太陽を眺めた。
ほんの1,2分だったけれど、欠けた太陽を見て、
そうしてその日は彼に連絡した。
『日食、そっちは見れた?』『次は2年後だって』って。
「忙しくて見れなかった」って言うのは分かってた。
そうして彼はこう続けたんだ。
「今度は一緒に見ようね」
10年一緒にいたのだから、
2年後も一緒にいると、
それがごく普通だと、あたりまえだと、信じて疑わなかったんだ。ふたりとも。
たった一度だけねだったお揃いの指輪は、
私のだけゴールドで、
今もこの指で輝いていて、
空に輝いたあの光の輪を思わせる。
2年前の私たちを思い出させる。
自分の考えを他人に押し付ける人間なんて大嫌い。
他の人にはその人なりの考えがあることを少しは考慮・尊重して欲しい。
…という私の考えも、他人に願うと「自分の考えを他人に押し付ける」ことになるな、
何て考えると、ただひたすら口をつぐんで耐えるしかない。
ジレンマ。
Anna Shakina (shakti)
昔の写真を探していたら、今までの写真に埋もれていた。私自身が。
こんな時、しみじみとこの写真について思う。
写真だけじゃない、例えば本だったり、日記だったり、好きな音楽だったり、服だったり、
世界で「私」の周りにあるすべて。
この「もの」たちは、私がいなくなったらどうなるんだろう?
私が死んで、家族がいたとして(いなかったとして)、これらはどうなってしまうんだろう?
自分が死んだことなんてもちろんないから、身近な人の事で想像をしてみるのだけれど、
ありがたいことに?私は身近な人を亡くした経験がない。
だから全くの想像になる。
例えば私が死んだとして、
洋服なんかは処分されてしまうだろう。
私の体型も趣味も家族とは合わない。
私はものを捨てることが苦手で、何でもかんでも持っていてしまう。
でも家族は違う。
いらないものはすぐに捨てる。
要るものなんじゃないの?と思ってるものまで捨てる。
そんな家族の行動を見ると
私の服なんて、私がいなくなったら「必要ないもの」と見做されて
きっと、とっとと捨てられる。
写真はどうだろう?
一緒に写ってる写真、そうじゃなくて私が個人的に撮ってる写真。
思い出の一枚、なんて言うと聞こえはいいが、
私の手元には思い出が何千枚もある。
アルバムに作ったもの、印刷はしたけれどまとめきれずに袋詰めにしてるもの、印刷もしていないデジカメデータ、昔のネガ。
気に入ったものは何枚か保存されて、きっと残りは捨てられる。
そうでないと、置き場にも困るはず。
そういえば小学校の時の文集とか、今でも取ってあるのだけれど
(写真を探していた時に、文集も見付けて今回これを書くに至った訳だけれど)
これも同じように、どう処分していいかわからないものの一つだ。
思い出としてとっておく?それとも捨ててしまう?
PCなんて、きっと使ったりするんだろうけど、
例えばこんなブログのようにサーバーにupしていたらそれは記録として残るのかもしれない。
でも、メーラーの中の受信メールとか送信メールとか
そこには確かに私の生きていた証であったり感情といったものが存在していて、
そんなデータも抹消される。無かったことにされてしまう。
それらがとってもさみしく感じて、
生きてた証を残せなく感じて、
それを思うとしんみりしてしまう。
私は過去に思いを馳せる。
例えば、おじいちゃんの話。
私には、祖父がいない。祖父の名前も知らない。
私が生まれた時には、祖父という存在はこの世にいなかった。
すでに亡くなっていたから。
写真だったり、家系図だったり。
そういうものはあったのかもしれない。
でも私はそういうものに触れず、そのまま何も知らないオトナになった。知ろうとも思わない。
もし何か残っていたら、
今のように写真とか、音楽とか(肉声だって残せる)、こんな所によく行った人で、こんなブログを書いてました…
そんなものがたくさんあったら、もっと身近に感じたろうか。
もっと知ろうと思ったろうか。
元々存在していなかったり、戦争なんかですべてが燃やされてしまったり。
昔には存在していなかったものが次々と生まれてる。
この生まれたものたちが、初めての百年、二百年を迎えるとき、どんな保存の仕方をされていくんだろう?
お墓に入りきれないよね。
何かを残しておきたいと思ったら、よほどのお金持ちになって、記念館のようなものを建てるしかない。
そんな風に思ってた。子供のころから。
何かを残したいと思ったとき、
それを受け取ってくれる誰かがいて、初めて残せると思うのだけれど、
その「受け取ってくれる誰か」って、普通はやっぱり「子供」なのかな、と思う。
私は女だから、いずれは子供を産みたいと思っていて、
それはもしかしたら(本能的なものもあるんだろうけれど)、やっぱり何かを「残したい」って気持ちなんだろう。
残したいってのが本能なのかな。
もしかしたら子供を産むことは叶わないかもしれないけど、
それでも何かを、思ったこととか、感じたこととか、身につけたものだとか、
私の存在した証を
残したいと思って、
もしかしたら
教職に憧れているのかもしれない。
誰かに、何かを伝える。
誰かに、何かを教える。
そうしてそれはその人の一部になって、広がって、伝わって、受け継がれて。
そういうことで、何かを残すことができると思っているのかもしれない。
散らかった部屋の中で
私は今日もものを減らせず、
いつか朽ちてしまうものたちを思い
いつか朽ちてしまう自分を思う。